兵庫県は昔、首都だった!?

兵庫県の名は、現在の神戸市兵庫区(兵庫城)に役所が置かれた事に起因します。

どうしてか?といえば、ここにある兵庫港(旧称は大輪田泊、現在の神戸港の一部)
が古くから国際貿易港として開港していた為です。

大輪田泊は、天然の良港で日宋貿易の拠点でしたが、南東風の強風による船の破損が、その有用性の妨げになっていました。

1162年、今年のNHK大河ドラマの主人公でもある平清盛が、この大輪田泊を手に入れました。

清盛は、大輪田泊の安定した運用の為に港内に人工島を築いて、そこを船の停泊地にするという大土木工事を計画します。

今でこそ、当たり前の港湾の埋め立てですが、当時の日本では前例がなく、そのノウハウもない、難工事でした。

工事は、度々失敗した為に、沢山の伝説が生まれました。

1日も早い、島の造成を目指す清盛が、沈みゆく太陽に扇子を向けて煽ると、沈みかけた太陽が、戻ったという話や、工事の祈願の為に人柱を出すべきだという貴族の意見を退けた清盛が、諸人に島の埋め立てに使う小石の一つ一つに、経文を書かせて沈め、それが為に人工島が「経が島」と呼ばれた説など、清盛が心血を注いだ、大工事は、1175年に漸く完成を見ました。

以降、この大輪田泊には、宋の貿易船が頻繁に入港するようになります。

清盛は、銅銭を大量に宋から購入し、それが日本国内に流れる事により、一時的な物価騰貴の現象が生じる等、中世の日本経済に絶大な影響力を振るったのです。

さらに清盛は、この地に居を構え、さらに都を福原に遷都すると言いだし、これを強行します。

一説では、京都にて強い影響力を持つ、比叡山のような宗教勢力の力を政治から引き離す為とも言われます。

福原遷都から、程なく清盛は没して、政治の中心は東国の鎌倉に移っていくのですが、一時期、兵庫は、政治と経済の中心地だったのです。